年末なので帰省している。
実家にいると(とうか田舎だからなのかも?)雑事が多くていろんな物事がスムーズに行かない。
昨年末、父親が亡くなって来年は喪が明けた正月ということで、母親一人何かとやることが多いみたいで、この様々なあれこれを母親が亡くなったら私と兄がやらなきゃいけないのか・・・と思うと「無理!」という気持ちでいっぱいになる。
コンパクトなようで満遍なく!で、おなじみ田舎の人間関係は、人が死んだ時に一番実感する。
父親が死んでもう一年も経つのに、はるか昔生まれ育った地域のお年寄りが「死んだこと知らなくて、今更ごめんよ」といまだに香典をいただく。ありがたいけどそんなに気にしなくていいのに!
父親の生まれ育った地域の、ちょっと奥地に住む一族のおばあさんが、父親の死を最近人伝に聞き、人伝に香典をくれるので、母親と一緒に香典返しを持って行くことになった。
その一族が住む場所は小さな川と滝壺があって、そこへ幼い頃に父親に連れられて水遊びに行ったり、飼ってる牛を見に行ったりしていたので、なかなか懐かしくテンションが上がった。
少し雑然とした畑やトタンが剥がれて土壁が剥き出しになった倉庫を見て、30年以上の時間の経過を感じながら、ふと本家の玄関に目をやるとお婆さんが猫と一緒にこちらを眺めていた。香典をくれたお婆さんが住むのは本家の先にある一軒家なので、簡単に挨拶して先へ進んでいった。
本家と目的の家の間に牛小屋があるのだけれども、小さい頃に3頭くらいいたはずの牛はもちろんいないし、崩壊しかけた牛小屋は随分小ぢんまりして見えた。
若い人がいないと建物を維持するのは難しいな…と思いながらその先にある一軒家を見ると、どう見ても空き家の趣き。
私はよく地元の空き家情報サイトを見るのだけど、そこに載ってませんでしたっけ?っていうくらいの空き家然とした佇まいだった。
どこらへんが空き家っぽいのか、ポイントをざっとあげると、
・ブロック塀を取り壊している
・どの窓も雨戸が半分とか半端に閉まっている
・鉢植えが枯れてひっくり返っている
・掃き出し窓の下に丸まった謎毛布が置いてある
・玄関のブラケットがあったであろう場所に、なにもない
・というか呼び鈴とかもない
・家の中が妙に暗い
などなど、とにかくシン…としていて、人の気配がないのだ。
仕方ないので入り口に杖とシルバーカーはあるけど「出かけてそうだから本家のおばあちゃんに伝言をお願いして帰ろうか」と、本家まで戻った。
すると本家のおばあちゃんは「シルバーカーがあるなら絶対に家にいるはずだから声をかけてみて」と言う。「耳が遠いだけだから、せっかく来たんだし会って行って」と言われるので引き戻さざるを得ない。
玄関に座るおばあちゃん越しに、ズボンを履いていないおじいちゃんが椅子に腰掛けて来客を全く気にせず遠い目をしているのが見えて、老老介護暮らしを垣間見た。
本家のおばあちゃんに応援されてしまった母親は、分家に戻って「こんにちは〜、おーい、おばちゃん〜」と一生懸命声をかける。客観的に見て「空き家に向かって親しげに声かけしている老婆」というこのシチュエーション、我が母親ながらなんか心配になる!
しかし母親は、田舎特有の垣根の低さでガンガンいく。
玄関ドアを開けようとして「あら?開かんね〜」と言っているけど、それは鍵かけて出かけてるからでは?出直そうよ、と言っているのに勝手口にまわって窓(版型ガラス)から中の様子を伺って「電気が点いてるからいるはずだ」と勝手口のドアを開け「こんにちは〜!」と呼びかける。しかし全く返答はない。
声の大きな私が声掛けしろ、というので、家の中を覗きがてら
「こんにちは〜〜〜〜〜〜!!!!ごめんください〜〜〜〜〜!!!!!」
と声をかけてみるも、全くの無音。世にも奇妙な物語で人のいない世界に来てしまったのかってくらい無音。
勝手口を開けてすぐに「超熟」の袋に入ったパンが床に置いて(落ちて?)いるので、パンを焼こうとして神隠しにでもあったのではないか、という雰囲気に満ちている。
それにしても、パン以外は全く生活感がない台所である。かつて生活感はあったけど……というのが正しい感じ。
電気は点いてて鍵がかかってないのに、何度呼んでもまったく気配がないので、私はだんだん「中で倒れているのでは?」と心配になってきた。
母親も諦めがつかないようでもう一度窓から中を覗いたり玄関ドアをガタガタ開けようとしている。しかし改めて家の周りを見ても、もう人が関わらなくなって随分経っている建物にしか見えない。
玄関に鍵がかかっているのかと思っていたけれど、単に立て付けが悪かったようで、力を入れてドアを引くと、ガラガラと玄関が開いた!
「ごめんください〜こんにちは〜」
ほんのり独特の匂いがただよう家の中は、相変わらず薄暗く無音である。
完全に空き家では?と思っていたら、母親が
「あっ、足が見える・・・」
と玄関から続く部屋のドアを覗き込んだ。
「おばちゃん!おばちゃん!!」
と話しかけているのに全く返事がない。
私は玄関の外で、自分達が第一発見者に!? とドキドキしていた。
「おばちゃん!聞こえる?」
「香典のお礼持ってきました!ありがとね!」
「おばちゃん!おばちゃん!!」
母親の声ばかりが響く。
「おばちゃん、誰かわかる?おーい!」
「ああ〜〜〜?誰かねえ〜〜〜?」
おばちゃん生きてた!!!よかった!!!!!!!
おばちゃんは、耳だけでなく足も悪いらしく、声をかけてもなかなか気づかないし、横たわったまま動かず母親と噛み合わない会話をしていた。私も挨拶と香典のお礼を言うと、
「あんただれ〜〜〜?娘さん〜〜〜?んまーお母さんの若い頃そっくりやね〜〜〜」
と、幼い頃から100人中100人に言われ続けてきた私の顔への感想を告げてくれた。
とにもかくにも、生きててくれてよかった。
足が悪いから落ちた超熟も拾えなくてそのままだし、家の周りの手入れが行き届かなかったのか。
胸を撫で下ろしながら本家のおばあちゃんにも帰りに分家のおばあちゃんに会えたことを伝えて挨拶して帰ることにした。
「そりゃよかった〜耳が遠いからね〜」
とニコニコ笑うおばあちゃん越しに、ズボンを履いていないおじいちゃんが椅子に腰掛けて来客を全く気にせず電気シェーバーで額をバリバリ剃っているのが見えて、老老介護暮らしを垣間見た。
母親によると、分家のおばちゃんも、本家のおばあちゃんもおじいちゃんも、80代後半か90代。約1世紀もの時間のほとんどをこの場所で過ごしてるということだ。
結構な広さのある土地持ちのこの一族、子供たちは別の場所に家を建てて移り住み、そこから老人たちの様子を見に通っているそう。
遠からず、私が父親と見たこの景色がなくなる。
改めてそう実感すると、忘れていた場所に誘ってくれた「コンパクトなようで満遍ない田舎の人間関係」は悪いものでもないな、と思った。